大判例

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大津地方裁判所 昭和41年(わ)379号 判決 1967年9月18日

被告人 吉原吉次郎

主文

被告人を罰金二三、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

ただし右罰金額中二〇、〇〇〇円については本裁判確定の日より一年間右刑の執行を猶予する。

被告人に対する昭和四一年八月五日付起訴状公訴事実中の第二事実(公務執行妨害、傷害の事実)については無罪。

訴訟費用中証人辻口肇、同勝見正俊に支給した費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、昭和四一年七月二四日午後三時三五分ころ、滋賀県公安委員会が道路標識によつて一方通行とした場所である滋賀郡志賀町大字南小松一、一〇八番地付近道路において、一方通行の出口方向から入口方向に向い自動二輪車(志賀町二七一一号)を運転し

第二、滋賀県知事の許可を受けないで、国定公園である滋賀県滋賀郡志賀町大字南小松小字男松一〇九六番地において、昭和三九年一〇月ころより鉄骨モルタル塗り二階建一棟(延べ約五六七平方メートル)の新築工事に着手し、昭和四一年六月末右工事を完成し

第三、昭和三九年一〇月ごろ、右建築物を建築するに当り、あらかじめ当該建築の計画について法定の確認申請書を提出しておらず、かつ建築主事の確認を受けていないのに、右建築物の工事に着手し

たものである。

(証拠)<省略>

(適条)

道路交通法七条一項、九条二項、同法施行令七条一項、滋賀県公安委員会告示一七号、道路交通法一一九条一項一号(第一事実、罰金刑選択)、自然公園法一七条三項、五〇条、厚生省告示三九三号(第二事実、罰金刑選択)、建築基準法六条一項、九九条一項二号(第三事実)、刑法四五条前段、四八条二項、一八条、二五条一項一号、罰金等臨時措置法六条、刑事訴訟法一八一条一項本文。

(罰金刑中の一部に執行猶予を付した理由について)

刑法四八条二項により判示第一、二、三の各罪につき定められた罰金の合算額一三万円以下において処断することとなるが、判示第一の一方通行違反の罪につき罰金三、〇〇〇円、第二の自然公園法違反、第三の建築基準法違反につき罰金二〇、〇〇〇円と量定し、計二三、〇〇〇円の罰金刑とするが、右のうち自然公園法違反、建築基準法違反分として量定した二〇、〇〇〇円については次の理由によりその刑の執行を猶予するを相当とする。即ち、

一、志賀町長山本忠八認証の「建築主、吉原吉次郎の建築工事届」の写

二、押収にかかる「志賀町役場の自然公園法の規定による申請書類受付処理簿」(昭和四二年押第二五号符号五号)、確認通知書(前同符号一号)、滋賀県知事の被告人に対する自然公園法の規定による許可書(前同符号二号)、被告人より滋賀県知事宛「滋賀県観光旅館、ホテル等施設整備資金借入申込書」(前同符号四号)

三、証人辻口肇、同勝見正俊の当公廷における各供述

を総合すると次の事実が認められる。即ち、

「被告人は昭和三八年九月二八日本件建築物の建築基準法による工事届を、昭和三九年五月二五日自然公園法による許可申請書をそれぞれ志賀町役場に提出している。本件建物につき、昭和四一年一一月二六日付で建築主事水越義幸の建築基準法による確認がなされ、昭和四二年三月二九日付で滋賀県知事の自然公園法の規定による許可がなされている。その間昭和四〇年九月一七日には本件建物の建築資金を借入れる手続の書面を前記自然公園法による許可申請書を受付けた志賀町吏員勝見正俊が被告人の依頼により代筆してやつている。」

以上認定の事実によれば、被告人が本件建物の建築に着手するより遥か以前に建築基準法による建築工事届、自然公園法による許可申請書を県庁への提出書類の経由官庁である志賀町役場に提出しているのに、前記判示第二、第三事実の証拠二によれば滋賀県建築課、観光課はかかる書類を受理していないというのである。とすると右書類は志賀町役場より県庁への発送の段階か、県庁へ届いてからの段階かで紛失されたものとみるのほかない。弁護人が弁護で述べる様に建築基準法六条三項には建築主事は申請書を受理した日から七日ないし二一日以内に適合するかどうかを審査して、その結果を申請者に通知しなければならない旨規定されていることに鑑みれば、被告人が本件建物の建築に着手した昭和三九年一〇月まで、建築工事届を志賀町役場に出した日より満一年自然公園法による許可申請書を提出した日より四ケ月以上経過しているのに、何らの応答がなかつたことは、志賀町役場か滋賀県庁かは別としていずれにしても行政庁側の過失ないしは怠慢があつたものと言わざるをえない。そして結果的には本件建物は建築基準法にも自然公園法にも適合するものとしてそれぞれ確認、許可されているのである。もつとも本件建物はその規模から言つて工事届ではなく始めから確認申請書を出すべきであつたか、建築基準法に精通していない素人の被告人にそこまで要求するのは無理で、工事届が出された場合行政庁としては確認申請になおす様行政指導すべきであつて、最初に出した書面が確認申請書でなくて工事届であつたことをそれ程咎めることはできない。

この様な事情が捜査当時に判明していたならば、恐らくは自然公園法違反、建築基準法違反については不起訴処分にしたであろうことが考えられるので、右違反事実に対する罰金量定部分についてはその刑の執行を猶予するを相当とする。

もつとも一個の罰金刑の一部に執行猶予の言渡をすることは違法であるとする裁判例(昭和二六年一二月一四日福岡高等裁判所判決、高等裁判所判例集四巻一四号二一一四頁)もあるが、右は食糧管理法違反という同一罪名の数個の罪の併合罪に関する事例で本件に適切でなく、その理由付けまた必ずしも首肯し難い。

(右判決は「刑法二五条の規定の文理からしても「其執行ヲ猶予スルコトヲ得」との「其執行」とは「言渡刑そのもの」を指称するものと解すべきが相当であるから執行猶予の言渡しはその言渡した「刑全部」につきなすべきであることは当然である」というが賍物故買罪のごとく、懲役刑と罰金刑の必要的併科の場合に懲役刑にのみ執行猶予を付し、罰金に執行猶予を付けないことは実務上しばしば行われており、学説の反対もない。(懲役と罰金の併科は「一個の刑」であることにつき昭和二六年三月二二日高松高等裁判所判決、高等裁判所判例集四巻四号三三九頁参照)してみれば二五条の「其執行」とは、言渡した「刑全部」を指称するものと制限的に解しなければならないというわけのものではない。刑法二六条ノ三は執行猶予と実刑の併存を否定しているが、右は「禁こ以上の刑」についての規定であるから、これを以て罰金刑の一部執行猶予を否定する論拠とはなし難い。また本件につき建築基準法違反は罰金刑しかないので暫くおくとして道路交通法の一方通行違反と自然公園法違反の併合罪の場合前者につき罰金刑を後者につき懲役刑を選択し、その懲役刑にのみ執行猶予を付して前者の罰金刑に執行猶予をつけないとするについてはこれを違法とする見解はないであろう。それならば、後者につき懲役刑より軽い罰金刑を選択した場合これに執行猶予がつけられないというのはおかしいと言わねばならない)。

(無罪の理由)

被告人に対する昭和四一年八月五日付起訴状公訴事実第二の事実は

「昭和四一年七月二五日午前九時四五分ころ、滋賀郡志賀町大字南小松一〇九五番地の自宅において、前記道路交通法違反を現認した堅田警察署近江舞子北浜警備派出所勤務巡査粟津和本より右道路交通法違反の取調べのため同派出所に出頭を求められたことに憤激し、同巡査に胸を突く等の暴行を加え、よつて同巡査に対し、治療約一週間を要する右輪指打撲傷を負わせ、もつて同巡査の職務の執行を妨害したものである」

というのである。

証人粟津和本は同公廷において次のとおり供述している。

「被告人に対し昨日はなぜ逃げたのかと言いましたら、今忙しいからあとにしてくれと言いました。私は免許証の提示を求めたら出したので、「近くのことだから預つておく、あとですぐ来てくれ」と言いました。被告人は「おれのものをどうする盗難届を出す」と怒りました。私は「盗難届を出すなら出してくれ」と言いました。私が一、二歩下りかけたら被告人は興奮した様子でつつかかつて来て「ただでは済まさんぞ」と言つて蹴飛ばされ、両手で胸倉をつかまえ突き押されました。手の処をひつかけられ血が付いていました。二日後の二七日に医者にみせたのは、これくらいは大丈夫と思つていたのですが、夏のことで化膿して来たので見て貰つたのです。右手の輪指です。押えると痛かつたです。医者は(全治まで)一週間位と言われました。通院はしていません。医者は自分で包帯をかえておきなさいと言われました。中浜派出所で被告人の免許証と名前を紙に控えたが、その時はけがをしているのに気付きませんでした。けがは胸倉をつかまえられる前に押された時私がよけようとした時に爪か何かでひつかけられたけがと思います。けがをしているのに気が付いたのは夕方です。何かの拍子に何げなく痛かつたのでみたら、ちよつと口が開いて血がかたまつていたのです。ガラスか何かで切つた様に大げさではありませんが五ミリぐらい開いていたのです。表皮が開いている様になつていました。医者に行つたのは二七日で化膿していて押えると痛かつたです。その傷に対し、赤チンを塗つて包帯されたのです。包帯は一週間位していました。」

以上の様に供述している。ところが右粟津和本の傷を診断した堅田診療所の医師大塚義彦(四六歳)は当公廷において、当時のカルテを持参してこれをみながら次の様に供述している。

「カルテをみると右輪指打撲傷とあるだけできずはなかつたと思います。本人はたたかれたからみてくれと言つて来たのです。もし化膿していたのならばカルテに「打撲創(化膿)」と書きます。それがないところをみると外見上はきずはなかつたと思います「傷」と書く場合は血の出るきずではないのです。医学上血の出ているきずの場合は「創」と書き、血の出ていないときは「傷」と書く様に区別されています。しかし医者によつては区別せずに書く人もありますが、私は区別しております。小さい処置でも処置した時はカルテに書きます。もし赤チンを塗り、包帯する様な処置したらカルテに「交換」(処置したことを意味します)と書いてあるはずです。それに初診料二四〇円貰つているはずですが、それも貰わず診断書代二〇〇円貰つているだけです。しかし初診料の点については警察官だからまけておけと私が事務員に言つたかも知れませんが、それにしても処置したらカルテにその旨書いてあるはずですから、やはり処置はしてなかつたと思います。カルテによると「七月二四日近江舞子で殴られた」と書いてあり、処置そのものはしてないしきずはなかつたと思います。ただ診断書を書いただけです、診察したのは二七日で「七月二四日近江舞子で殴られた」とカルテに書いたのは言われたとおりを書いたので「二五日」ではありません」

以上の様に供述している。

この様に粟津巡査が受けたというきずの点につき、右両証人の供述は非常にくいちがつている。しかしながら、医学上の区別に従つて血の出る時のきずは「創」と書き、血の出ない時のきずは「傷」と書くこととしている大塚医師が「創」と「傷」を書き違えることは考えられないし、もし粟津証人の言う様に五ミリもの傷口が化膿して処置をしたのなら、初診料を支払つたかいなかに関係なくカルテには「交換」と記載されている筈なのにその記載のないところよりみると粟津証人の証言は信用し難い。

この様に粟津証人の証言が右の様に最もはつきりしておるべきはずのきずの点において信用し難いものである以上、前記摘記した様な同証人の被告人より暴行を受けたとの点に関する証言も何処まで信用してよいか疑問とせざるをえない。

もつとも被告人は昭和四一年八月三日付司法警察員に対する供述調書によれば「……免許証を持つて帰りかけた姿をみるとむしように腹が立ち、つい年がいもなく、「わしの免許証をなんで持つて行くんだ。わしが承知せんのに黙つて持つて行つたら承知せんぞ」とどなりながら巡査の胸の辺りを両手で押してやつたのです」との供述記載があり、被告人の検察官に対する昭和四一年八月四日付供述調書中に「粟津巡査は何回も来てくれと言い、又免許証を預つて行くというので私としては、あまり同巡査から派出所に来いとせかされ腹が立つてならず、「わしの免許証なんで持つて行くんだ。わしが承知もせんのにだまつて持つて行つたら承知せんぞ」とどなり、巡査の前に立ち塞つて両手で粟津巡査の胸をすもうの突きと同じようにして交互に胸を突きますと同巡査は「公務執行妨害で逮捕するぞ」と言われましたが、それでもまだ胸を突きました。私は何回突いたか覚えませんが四、五回以上は突いていると思います」との供述記載があるが、その点は弁護人が弁論で述べている様に、被告人が被疑者として逮捕、勾留されていた時期は丁度商売上盛夏のかき入れ時であつたので、一日も早く釈放されたいために一部迎合的な供述をしたということも考えられないこともないし、のみならず前記のとおり、粟津証人の証言が信用できないものである以上、自白を裏付ける補強証拠がないということに帰する。

前記摘記した粟津証言の中にも出てくる様に、同巡査が被告人に免許証の提示を求め、預かつておくと言つたのに対し、被告人が「おれのものをどうする、盗難届を出す」と怒つたというのである。このことは被告人も当公廷において同旨の供述をしているので事実と認められる。被疑者が免許証を任意に提出するならともかく、その意に反して証拠物として取上げるためには刑事訴訟法に定める手続に従い押収すべきであるのに、被告人が任意に提出を拒否しているのに無理矢理に免許証を持つて行こうとする場合、刑法上の暴行と目すべき程度に至らない程度において抗議することは法の禁ずるところではない。被告人が粟津巡査が無理矢理に免許証を持つて行こうとしたことに対し、抗議したことは粟津証言ならびに被告人の当公廷における供述によつて認められるけれども、その抗議の程度が刑法上の暴行を以て目すべき程度に及んだか否かの点、その結果粟津巡査がけがをしたか否かの点についてはこれを認めるに足るべき証拠不十分というのほかない。

よつて右公訴事実の点については刑事訴訟法三三六条後段により無罪の言渡をすることとする。

(裁判官 中村三郎)

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